和敬塾 新南寮ブログ

2019年4月より和敬塾南寮、乾寮、巽寮の3寮が合併します。3寮の個性を融合させた新南寮での日常を発信していきます。

寮の意義について

こんにちは。広報部部長の米倉です。今回はこの寮に住む一個人としてではなく、あくまで客観的にこの寮、いや、寮そのものについて考察してみたいと思います。

暮らしにはさまざまな形がありますが、そのことを考えるといつも思い出すのが、徒然草第五十八段にある、「心は縁にひかれて移るものなれば」という一節です。環境によって心というものは変わるという当たり前のことを言っているようですが、人間の一つの真理を端的に表現しているように思います。社会というのは必ずしも人の幸福のために動いているのではないことは経済学を学ぶまでもないことです。経済法則に従って社会構造も変化し、人の環境も変わりますがそれによって人の心も変化するのでしょう。日本でも戦後、そのような変化によって個人化が進展しましたが、そのしばしば当然のこととみなされ賛美される個人主義が人類史の中では極めて最近のことであること、特異なものであることは重要なことだと思います。もともと人間の脳は集団で生活するようにできている、というのは「社会脳仮説」といわれるものですが、その学識を持ち出すまでもなく、個人差はあるにしろ、人は根源的に他者を求め、また孤独を恐れる存在だと言えるでしょう。それゆえに、また個人化が環境の面でも内面においても進む現代であるゆえに、寮という存在は看過できない重要な意義を持っているのだと私は思います。

今回の騒動で多くの大学生が孤独に苦しんでいるという声を報道や人づてで聞くことがありました。その度その人たちの心情を想像しつつも、この環境にいることのできることをありがたく思ったものでした。寮はそれ自体が一つの共同体であるために人と人が支え合って交流することが自然と行われます。この状況下という文脈においても、寮という形態はそこで暮らす者にとって心理的支えとなってくれると断言できるでしょう。

私が今回試みたかったのは、「大学生=一人暮らし」というステレオタイプを是正し、選択肢としてありうる寮生活というものを示すことであり、これを読んでくださった外部の方々に興味をもって頂くことでした。ここまで読んでくださりありがとうございました。