和敬塾 新南寮ブログ

2019年4月より和敬塾南寮、乾寮、巽寮の3寮が合併します。3寮の個性を融合させた新南寮での日常を発信していきます。

読書の秋 広報部リレーブログ Vol.6

   こんにちは。広報部二年の米倉です。今回私が紹介する本は四つあります。今までのブログ担当者の方々は様々な分野から一冊の本を紹介してこられましたが、私はどうしても複数分野から紹介したい衝動を抑えきれず、四冊紹介することとなりました。勝手をお許し下さい。


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   まず紹介するのは、W.シェイクスピアの戯曲です。彼は生涯に37の戯曲を書きました。有名なものとしては四大悲劇の「ハムレット」、「リア王」、「マクベス」、「オセロ」があります。私は日本語訳で読んでいるので原文の意味が保たれているとは言い難く、むしろシェイクスピアと翻訳家の共同作品を読んでいるのでしょうが(翻訳とは概してそうですが)、それでもシェイクスピアの言語的豊かさは強く感じられます。

印象に残っている部分として、

「習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、反面それは天使の役割もする。始終、良い行いをなさるようお心がけになれば、はじめは慣れぬ借着も、いつかは身についた普段着同様、おいおいお肌に慣れてくるものです。」(ハムレット福田恆存)

「世にむき出しの悪というものはない、かならず大義名分を表に立てているものだ。どこにも多い臆病者、心臓は砂で作ったきざはし同様たわいない。(中略)美人を見るがいい、知れたこと、美しさもまた脂粉の目方で売り買いでき、その目方ひとつで世にも不思議な奇跡が起る。(中略)こうして虚飾こそは、魔の海に人を誘い裏切る岸辺、色黒のインド美人の面を隠すきれいなかつぎ、一口にいえば、見てくれのまことらしさというやつ、ずるかしこい世間はそれを罠にしかけて、どんな賢者も陥れるのだ」(ヴェニスの商人福田恆存)

等があります。

シェイクスピアを読んでいないのは理系でいう熱力学第二法則を知らないくらい恥ずかしいことだそうなので読んでいない人はこれを機会に図書館へ行きましょう。


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   続いて紹介するのはA.アインシュタイン著の「相対性理論」です。相対性理論はあまりにも有名ですがその内容について理解している人は理系の学生でもほとんどいないでしょう。相対性理論には一般相対性理論特殊相対性理論がありますが、この文庫にあるのは特殊相対性理論の方です。何が特殊かといえば、特別な空間だけが等質である(空間が等質とはそこで同じ物理法則が成り立つということ)ということで、特別な空間とは物理用語でいえば慣性空間のことです。ちなみに一般相対性理論は話の流れで分かるように、特殊相対性理論から、慣性空間という縛りを取っ払って空間一般の話に拡張したものでした。相対性理論が果たした役割としては、時間と空間の観念を変えたということでしょう。相対性理論によれば、時間の経過の仕方や物の長さは観測者と観測されるものの相対速度によって異なってくるというのです。また、相対性理論は、現在の宇宙論素粒子論がそれがあって初めて成り立つというほど物理学の重要な基盤となっています。内容は難解なので、そうそう簡単に読めるものではありませんが、興味があったらぜひ手に取ってみてください。


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   続いて紹介するのは紫式部源氏物語」です。名前を知らない人はいないでしょうし、一部の文章は学校でも必ず読まされたでしょう。一千年も昔に書かれた日本を代表する作品ですが、その長さと難解さから、敬遠されがちなようです。私もずっと避けてきましたが、数ヶ月前から田辺聖子氏の「新源氏物語」で読み始めました。現代語訳でもなかなか長いですが、源氏の恋の模様が生き生きと、また生々しく描かれており、普通に恋愛小説として楽しめます。それにしても、源氏の女性関係は現代の視点で見れば倫理的にどうかと思うようなものが多々あります。義理の母と関係を持ってしまったり、自分で育てた女の子を正妻にしたり、勝手に連れてきた女性を死なせてしまったり...個人的には浮ついてばかりいる源氏に腹が立たないでもないですが、そこは物語ということで大目に見ることといたしましょう。


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   最後に紹介する本は養老孟司著の「唯脳論」です。著者の養老氏は解剖学者として知られており、その解剖学的知識を元に興味深い思想を展開しています。この本はそんな思想の一端を垣間見ることができる氏の代表作とも言える書です。唯脳論とは養老氏の造語で、「ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場」と定義されています。

以下に主要な議論を紹介しておきます。はじめに著者は心と脳の関係について述べます。これは古くから心身論として主に哲学において議論されてきましたが、唯脳論的立場から一つの回答を与えています。「心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指している。」その根拠は長くなるので気になる方は読んでみてください。

また、構造と機能という問題にも焦点を当てています。個人的に面白かったのは、には実体はないということです。実体があるとは、それを切り取ることができるということですが、口を切り取ってくださいと言われても困ってしまうでしょう。口の定義が「消化管の入り口」である通り、とは機能を表す用語であり、人間の脳の中にしか存在しません。このように、ヒトはしばしば構造と機能を混同するようです。

そして、氏は意識の問題についても言及しています。意識は伝統的に哲学や心理学の対象であり、生物学の対象ではありませんでしたが、意識の生物学的意義に対する仮説を、これもまた解剖学的事実を元に提出しています。神経細胞には、末梢を十分に支配し、一定以上の電気的入力を受けないと死んでしまうという法則があり、他の生物に比べて巨大化したヒトの脳は、それに比例して神経細胞も増え、よって1つの神経細胞あたりの支配できる末梢の領域が少なくなるために、どうにかして電気的入力を増やさなくてはならず、よって神経細胞同士が繋がり合いお互いに支配し合い入力を増やすことでお互いを維持するようになり、そこに意識が発生したという説です。要するに意識の生物学的意義は神経細胞の維持であるというものです。以上の考察から、意識なるものが別段特別なものではないと氏は記しています。これは自意識や個性等に悩む現代人にとって、それらからの解放の鍵となるように思われます。

以上が私が主要だと感じた議論の抜粋です。この本は難解な部分も多く、自分も多々理解できないところがありますが、それでも様々な示唆を与えてくれるという点で読むに値するものと感じました。世界の見方が変わります。


長くなり申し訳ありません。このブログを読んでもし読書に興味を持ってくださったなら嬉しい限りです。

(以上の本は「新源氏物語」以外全て私の部屋にあります。)