和敬塾 新南寮ブログ

2019年4月より和敬塾南寮、乾寮、巽寮の3寮が合併します。3寮の個性を融合させた新南寮での日常を発信していきます。

雰囲気

 

 こんにちは。新南寮2年の浅井です。

 

前回は和敬塾から見える自然を紹介しましたが、

今回は立地についてフォーカスします。

 

和敬塾の住所は東京都文京区目白台1-21-2です。

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文京区のイメージ通り、東京都とは思えない静かさです。

周りを取り囲む自然と合わせて、非常にリラックスできる環境です。

 

近くの駅としては護国寺雑司ヶ谷、早稲田などが挙げられます。

それぞれの駅周辺で異なった雰囲気を楽しめます。

 

また、和敬塾の近くには胸突坂と呼ばれる急坂があり、

坂の上と下でも空気が変わります。

坂の下には神田川が流れています。

川沿いを歩いたり走ったりするといいリフレッシュになります。

 

和敬塾の強みはこの落ち着ける立地にあると考えています。

 

文責 浅井

和敬塾の自然

皆さん、こんにちは。
 
今回のブログでは和敬塾の豊かな自然について紹介しようと思います。
 
和敬塾は東京都文京区に位置し、池袋まで約15分、新宿までは約25分、渋谷までは約30分と都心までのアクセスが非常にいい場所にあるのですが、寮内は非常に緑が豊かです。
 
春は満開の桜、夏は青葉の茂る木々、秋は赤や黄色に紅葉したカエデやイチョウ、冬は椿など四季を感じられる植物がたくさん植わっています。
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寮の近くにも大きなイチョウの木のある神社や庭園などもあります。
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和敬塾のように都心に近くなおかつ自然の多い寮は都内でもかなり稀なのではないでしょうか?
 
文責:小高

読書の秋リレーブログVOL7

 こんにちは。広報部2年の酒井です。皆さんは今年どのような本を読まれたでしょうか。私は考古学の専門書以外は全く本を読みませんが、今年の夏は神保町で数冊の古本を買って読んだりしていました。たまには小説を読むのも良いですね!そこで今回私がお勧めする本は森鴎外の「かのように」です。       

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 この本は大学の教授に勧められた本で、軍医であり、帝国博物館の館長も務めた森鴎外の作品です。森鴎外は学校で一度は聞いたことのある人物ですよね。最近の作品と比べて森鴎外などの小説に抵抗を感じるかもしれません。しかし実際読んでみると中々現代と共通するところも多く、読みやすかったです。

 あらすじは歴史学者である秀麿が当時常識であった皇国史観の歴史と歴史学からみた歴史との間でどちらの「事実」を求めるべきかの葛藤を描いた物語です。

 戦前の日本の歴史は神話が本当に起こった事実として教え、現実ではありえない事も歴史の一部として強制されていました。このような言論の自由が統制された世界で、主人公はどのように立ち向かったが見どころです。

 この事は現在の私達にも当てはまるかも知れません。これまでの常識が間違っているのではないかと疑い、検証してみる勇気が私達学生及び研究者には必要なのかもしれません。

 この本は青空文庫で無料で読む事できますのでぜひ読んでみて下さい!

 

読書の秋 広報部リレーブログ Vol.6

   こんにちは。広報部二年の米倉です。今回私が紹介する本は四つあります。今までのブログ担当者の方々は様々な分野から一冊の本を紹介してこられましたが、私はどうしても複数分野から紹介したい衝動を抑えきれず、四冊紹介することとなりました。勝手をお許し下さい。


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   まず紹介するのは、W.シェイクスピアの戯曲です。彼は生涯に37の戯曲を書きました。有名なものとしては四大悲劇の「ハムレット」、「リア王」、「マクベス」、「オセロ」があります。私は日本語訳で読んでいるので原文の意味が保たれているとは言い難く、むしろシェイクスピアと翻訳家の共同作品を読んでいるのでしょうが(翻訳とは概してそうですが)、それでもシェイクスピアの言語的豊かさは強く感じられます。

印象に残っている部分として、

「習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、反面それは天使の役割もする。始終、良い行いをなさるようお心がけになれば、はじめは慣れぬ借着も、いつかは身についた普段着同様、おいおいお肌に慣れてくるものです。」(ハムレット福田恆存)

「世にむき出しの悪というものはない、かならず大義名分を表に立てているものだ。どこにも多い臆病者、心臓は砂で作ったきざはし同様たわいない。(中略)美人を見るがいい、知れたこと、美しさもまた脂粉の目方で売り買いでき、その目方ひとつで世にも不思議な奇跡が起る。(中略)こうして虚飾こそは、魔の海に人を誘い裏切る岸辺、色黒のインド美人の面を隠すきれいなかつぎ、一口にいえば、見てくれのまことらしさというやつ、ずるかしこい世間はそれを罠にしかけて、どんな賢者も陥れるのだ」(ヴェニスの商人福田恆存)

等があります。

シェイクスピアを読んでいないのは理系でいう熱力学第二法則を知らないくらい恥ずかしいことだそうなので読んでいない人はこれを機会に図書館へ行きましょう。


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   続いて紹介するのはA.アインシュタイン著の「相対性理論」です。相対性理論はあまりにも有名ですがその内容について理解している人は理系の学生でもほとんどいないでしょう。相対性理論には一般相対性理論特殊相対性理論がありますが、この文庫にあるのは特殊相対性理論の方です。何が特殊かといえば、特別な空間だけが等質である(空間が等質とはそこで同じ物理法則が成り立つということ)ということで、特別な空間とは物理用語でいえば慣性空間のことです。ちなみに一般相対性理論は話の流れで分かるように、特殊相対性理論から、慣性空間という縛りを取っ払って空間一般の話に拡張したものでした。相対性理論が果たした役割としては、時間と空間の観念を変えたということでしょう。相対性理論によれば、時間の経過の仕方や物の長さは観測者と観測されるものの相対速度によって異なってくるというのです。また、相対性理論は、現在の宇宙論素粒子論がそれがあって初めて成り立つというほど物理学の重要な基盤となっています。内容は難解なので、そうそう簡単に読めるものではありませんが、興味があったらぜひ手に取ってみてください。


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   続いて紹介するのは紫式部源氏物語」です。名前を知らない人はいないでしょうし、一部の文章は学校でも必ず読まされたでしょう。一千年も昔に書かれた日本を代表する作品ですが、その長さと難解さから、敬遠されがちなようです。私もずっと避けてきましたが、数ヶ月前から田辺聖子氏の「新源氏物語」で読み始めました。現代語訳でもなかなか長いですが、源氏の恋の模様が生き生きと、また生々しく描かれており、普通に恋愛小説として楽しめます。それにしても、源氏の女性関係は現代の視点で見れば倫理的にどうかと思うようなものが多々あります。義理の母と関係を持ってしまったり、自分で育てた女の子を正妻にしたり、勝手に連れてきた女性を死なせてしまったり...個人的には浮ついてばかりいる源氏に腹が立たないでもないですが、そこは物語ということで大目に見ることといたしましょう。


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   最後に紹介する本は養老孟司著の「唯脳論」です。著者の養老氏は解剖学者として知られており、その解剖学的知識を元に興味深い思想を展開しています。この本はそんな思想の一端を垣間見ることができる氏の代表作とも言える書です。唯脳論とは養老氏の造語で、「ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場」と定義されています。

以下に主要な議論を紹介しておきます。はじめに著者は心と脳の関係について述べます。これは古くから心身論として主に哲学において議論されてきましたが、唯脳論的立場から一つの回答を与えています。「心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指している。」その根拠は長くなるので気になる方は読んでみてください。

また、構造と機能という問題にも焦点を当てています。個人的に面白かったのは、には実体はないということです。実体があるとは、それを切り取ることができるということですが、口を切り取ってくださいと言われても困ってしまうでしょう。口の定義が「消化管の入り口」である通り、とは機能を表す用語であり、人間の脳の中にしか存在しません。このように、ヒトはしばしば構造と機能を混同するようです。

そして、氏は意識の問題についても言及しています。意識は伝統的に哲学や心理学の対象であり、生物学の対象ではありませんでしたが、意識の生物学的意義に対する仮説を、これもまた解剖学的事実を元に提出しています。神経細胞には、末梢を十分に支配し、一定以上の電気的入力を受けないと死んでしまうという法則があり、他の生物に比べて巨大化したヒトの脳は、それに比例して神経細胞も増え、よって1つの神経細胞あたりの支配できる末梢の領域が少なくなるために、どうにかして電気的入力を増やさなくてはならず、よって神経細胞同士が繋がり合いお互いに支配し合い入力を増やすことでお互いを維持するようになり、そこに意識が発生したという説です。要するに意識の生物学的意義は神経細胞の維持であるというものです。以上の考察から、意識なるものが別段特別なものではないと氏は記しています。これは自意識や個性等に悩む現代人にとって、それらからの解放の鍵となるように思われます。

以上が私が主要だと感じた議論の抜粋です。この本は難解な部分も多く、自分も多々理解できないところがありますが、それでも様々な示唆を与えてくれるという点で読むに値するものと感じました。世界の見方が変わります。


長くなり申し訳ありません。このブログを読んでもし読書に興味を持ってくださったなら嬉しい限りです。

(以上の本は「新源氏物語」以外全て私の部屋にあります。)

読書の秋 広報部リレーブログVol.5

広報部3年前川です。

 

今回も本を紹介していきます。

 

普段はあまり本を読まないですが、今回個人的に印象に残った本を紹介します!

 


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この本はホスト界の帝王ROLANDのストイックなまでのプロ意識の原点や、唯一無二の存在である理由を多面的な切り口で書かれています。

 

印象深かったのは「自分を好きでいるために努力する」という言葉で自分も頑張ろうと決めました!

 

面白いと思ったのが「ジャージばかり着ていたら、ジャージが似合う人間になっていく」というもので和敬で着る服も考えなくてはならないと思いました!

 

他にも名言が数多く書かれておりとても刺激を受ける本となっています。ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか。

読書の秋 広報部リレーブログVol.4

こんにちは。 広報部の小髙です。

 

朝夕はかなり過ごしやすい気温になってきて秋を感じます。やっと「読書の秋」というブログタイトルにふさわしくなってきました。

 

今回私が紹介するのは松村圭一郎 中川理 石井美保編 『文化人類学の思考法』です。

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 この本では現在の我々の身近にあるテーマを文化人類学という学問の観点から紐解いています。文化人類学とはある地域の文化、例えば経済や芸術や医療や政治、宗教などを中心にそれらを観察し、そこで行われるコミュニケーションや慣習などについて考察する学問です。
 
 この本の中で私の印象に残っているのは「呪術と科学」という項目です。現代の我々が行うやり取りのなかで因果関係や再現性のない科学的でない呪術的な役割をもっているものは多々あります。
 その呪術的な性質を持つコミュニケーションは科学的な性質を持つコミュニケーションに比べて劣っているわけではなく、それぞれが別の役割を持っており社会をつなぎなおし秩序を作っています。
 この項目ではそういった内容について身近に行われるやり取りを取り上げて説明しています。
 このように現在私たちの身近に行われているコミュニケーションや行動は往々にしてその表面的な意味合いだけではなくそれを行う人とその他の人との関係、その人が属するコミュニティの中での役割などの非常に複雑な関係性が見えてきます。
 
 今私たちは様々なコミュニティに属しています。例えば日常過ごしている家であったり、大学であったりバイト先であったり、はたまたSNSも属しているコミュニティであるといえます。
 そのそれぞれの中で行う行動やその理由について文化人類学的観点からより深い考察、分析をすることは、自分について多角的に分析することの助けになるのではないでしょうか。
 
気になった方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

読書の秋 広報部リレーブログVol.3

こんにちは。広報部の大井です。

 

まだまだ日中が暑い日が続きますが、ふと吹く風が涼しかったり、夜窓を開ければ風に混じって虫の音が舞い込んでくるようになったりして、季節の移ろいを感じることができるようになりました。

 

そんな季節の変わり目に私が紹介する本は、恒川光太郎さんの「雷の季節の終わりに」です。

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 この小説は、地図に載っていないが、日本のどこかに存在する『隠』という隠れ里が舞台の和風ファンタジー小説です。この里には、春夏秋冬の他にもう一つの神の季節である『雷季』という季節が存在します。その季節になると、人がたびたび消えるのですが、これは神の季節に起こることだから仕方のないことなのだと住民は言い、主人公の姉もこの季節に忽然と姿を消してしまいます。 この物語は、そんな『隠』で育った主人公の少年の冒険譚です。

 この本の魅力は、物語全体から醸し出される、どこか懐かしい雰囲気です。奇想天外な異郷ではなく、日本の原風景に通じる異界は、本当にどこかにあるかもしれないと思わせるような、日常の少し先にある存在として描かれ、郷愁を感じさせるものとなっています。

 そして、このノスタルジックな雰囲気は、恒川光太郎さんの淡々としつつも透明感のある美しい日本語で描かれることでより一層際立ちます。すんなり読めてしまうのに、日本語の美しさも感じることができる文体は、この作者の魅力の一つだと思います。

 

 秋の夜長に、御伽噺のような懐かしい世界観に浸ってみてはいかがでしょうか。ぜひ、この本を見かけた際は手に取ってみてください。

 

次回の更新は、9/15(火)です。